正義

与太話。

「一体全体正義はどこに行ったんだ?」

最近このように感じることが多いです。

ところで、正義って人によって違いますよね?

Justice

ちょっと「正義」でググってみます。

・justice. 人間の社会的関係において実現されるべき究極的な価値。 善と同義に用いられることもあるが,善が主として人間の個人的態度にかかわる道徳的な価値をさすのに対して,正義は人間の対他的関係の規律にかかわる法的な価値をさす。

とありますね。

・正義(justice)とは、一般的に道徳的・倫理的に正しいことを指す言葉です。

なるほど。

・正義は、時代や依拠する立場によって異なり、法令上も特定の内容を示すものではありません。

なるほどなるほど。

つまり「一体全体正義はどこに行ったんだ?」

の質問の答えは、

なぜ私が道徳的・倫理的に正しいと思っていることを皆は行わないのだ?

なのですね。

そもそも「正義」は「善」とは違って「よきこと」ではないのですね。

一般的

一般的日本人が変化してるのかな?

・人口は減っている

・高齢化社会

・少子化社会

・経済の二分化

・勝ち組・負け組という考え方

なのかな?

つまり、未来を夢見る人が少なく、

今まで稼いだ財産を守ろうとしている社会なのかしら?

そして現役世代は「勝ち組」に入るべく戦っているのだな。

誰かが負けるので、誰かが勝つ

敗者がいなければ、勝者は成立しない。

まぁ当たり前。

多分現代は通貨をたくさん集めた者が勝者なんだろう。

一般的にお金は給料としてもらう。

投資家などは元手がないと始まらない。

少しは労働しなければならない。

そのスタート位置を決めるのが「親ガチャ」である。

経済力のある親の下では進学において有利である。

将来たくさん給料をいただける可能性がある。

また「少しの労働」を生活費に使わずに貯金できる可能性がある。

こういった方々は現役世代でも「守派」に当たるのだろう。

しかし、下々のものも何とか逆転したいとあがく。

あがかなければ普通に生きていけない。

「あがくことが正義である」

このような感じだろうか?

愛があればお金なんて

愛さえあればお金なんていらない。

は、

「最低限の生活費があれば」

である。

現代は最低限の生活費に窮する方も多くいるであろう。

「経済の二分化」であれば、

ちょっと乱暴だが半数は窮している。

このグループには「愛」などあっても仕方がないし、

そもそも「愛」を得られる状況でもない。

じゃぁ「愛」なんかいらねーや。

と、割り切れればいいのだが、人間そうはいかない。

愛のために我がままに・・・

まず「愛」を得られる人間になる!

半分から下の人たちの目標はここになると思う。

そのためには「勝ち組」になることが必須の条件。

「負け組」の沼の中で傷をなめあっている場合ではない!

まずこやつらを蹴落として少しでも「勝ち組」に近づきたい!

これは正義である!

「愛」を得るための正義の戦いなのである!

ショートカット

「勝ち組」へのショートカット。

女子(一部男子、好男子も)なら「勝ち組」パートナーを得ることだろうか?

小さくまとまるなら「正社員」になることなんかも。

そのためには猛アピールである。

そもそも下半分に入っていても実力のある者はいる。

運悪く「親ガチャ」などでうまくいっていない者たち。

氷河期世代の中にもいるかもしれない。

猛アピールを完遂するには、この猛者どもを何とかしなければいけない。

実力ではかなわなければ、「視界から消えてもらう」

それが得策であろう。

これは正義である。

あくまで「愛」を得るための正義の戦いなのだ。

卑怯でも非人道的でもない。

正義なのだ。

なにやってんだか・・・

障害者枠は正直下半分の民になるでしょう。

いくら守られているとはいえ、そううまい話はありません。

障害者の中には思考はクリアで仕事は問題なくできる人もいます。

発達障害だけに限ったことではなくです。

でも社会の仕組みは障害者の能力を生かすことにおいては、まだまだ準備段階です。

残念ながら障害者の世界でも「正義の戦い」は行われています。

むしろ激しいかもしれません。

一般の方には想像できないかもしれませんね。

私はつくづくこの「正義の戦い」が嫌になっています。

面倒だと思います。

「なにやってんだか・・・」です。

共感してくれる人はいますか?

もう「不毛な戦い」はやめて建設的なことをしたいです。

とはいえ難しいですね。

どうしても目先のニンジンを追いかけてしまうのは本能でしょうから。

てなわけで今回は「正義」のお話でした。

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